市民活動応援賞

令和4年度 受賞団体訪問記

NPO法人アクティブ

クリスマスの翌日、12月26日に、NPO法人アクティブさんが運営する放課後デイサービス「アクティブ・ぽ~と」にお伺いしました。登録者は16名とのことですが、日々の利用者は5~10名前後。この日は、小学校1年から高校生まで、4人の方が顔を出していました。

2023年には、開所から16周年を迎えるとのこと。理事長の鈴木和憲さんは、障害のあるお子さんを持つなかで、行政や親御さん同士でのかかわりを深め、乞われて、現在のような立場につき、活動を進めることになったとおっしゃいます。

日頃の活動の中では、おやつづくりや昼食づくりなど、子どもたち自身が参加しての学びの機会や季節の行事等を大切に進めています。体を動かすゴムの遊具や書棚の絵本といっしょに、きれいに飾られたクリスマスツリーが、楽しい気分を醸し出していました。

放課後デイサービスの世界では、老舗に近いアクティブさんには、その評判を聞いて参加を申し込む保護者の方々も多いのだとか。制度の枠組みがある中で、一人ひとりの子どもたちに寄り添った活動を続けるためには、ベテランの職員さんたちの力が欠かせません。なかなか十分な人件費を捻出することができないのが悩みだとのお話も。アクティブを卒業した後も、社会で元気に過ごしていってほしいと願い続けるスタッフのみなさんでした。

海辺の図書館

海辺の図書館は、2014年にかつての荒浜集落の庄子隆弘さんの自宅跡地に、ささやかなプレハブの事務所のような建物として出発しました。図書館とは言うもの、本は少なく、かわりに佐藤豊さんの写真がいっぱい飾られています。

佐藤さんは、かつては船乗りとして世界の海を駆け回っていましたが、陸にあがってから、それまで気づかなかった荒浜の自然や暮らしの魅力を再発見し、カメラに没頭するようになったとのこと。

庄子さんも、震災後に、改めて、荒浜の暮らしが持っていた豊かさや自然の魅力に気づき、これらを多くの人たちに伝え、ともに分かち合いたいと思うようになりました。

海辺の図書館の活動を通して出会った二人は、意気投合し、二人三脚で活動を展開してきました。佐藤さんの写真を波打ち際に流木などを使って展示した「海べの写真展」を引き続き開催していきたいと考えていますし、毎月第二日曜日に行っている荒浜ビーチクリーンで見つかった多種多様な海ごみを素材に、海ごみ博物館という展示に仕上げたいという希望も持っています。

海辺の図書館の活動を通して出会った二人は、意気投合し、二人三脚で活動を展開してきました。佐藤さんの写真を波打ち際に流木などを使って展示した「海べの写真展」を引き続き開催していきたいと考えていますし、毎月第二日曜日に行っている荒浜ビーチクリーンで見つかった多種多様な海ごみを素材に、海ごみ博物館という展示に仕上げたいという希望も持っています。

海辺の図書館には、決まった会員などはおりません。主に、ビーチクリーン活動に参加する人たちの中から、興味を持った人たちが任意で参加しています。

そんな緩やかさの中から、心地よい居場所が、未来に向けて育っているようです。

にじいろCANVAS

にじいろCANVASさんは、LGBTQ+など、多様な性に生きる人が、お互いを尊重しあい、多くの人とつながり、誰もが自分らしく生きることができる社会をつくることを目的として、2020年1月に発足しました。メンバーは、当事者だけではなく、ALLY(アライ)というセクシュアルマイノリティの理解者である方々も、ボランティアとして活動をともにしています。

ちょうど、コロナの感染拡大期と重なったこともあり、オンラインでのイベント等が続きましたが、昨年2022年には、6月に「みやぎにじいろパレード」を開催したほか、相談会や居場所づくりなどもスタートしました。

私がお伺いした2023年1月のミーティングでは、およそ15名ほどの参加者のみなさんが、11月に予定している「みやぎにじいろパレード2023」に向けて、どのような関連イベントを開催するかについて、熱気のこもったフリートークを重ねていらっしゃいました。

相談ブースなどだけではなく、手芸コーナーやダンス部門の設置や野菜の販売などさまざまなアイディアが登場。ネットワークが伸び、楽しみの中から、お互いの多様性を尊重しあう、素敵なイベントが動き出していました。

せんだいわらアート実行委員会

わらアート実行委員会代表の広瀬さんの胸に、わらアートのアイディアが宿ったのは、2014年のこと。その当時、広瀬さんは、東部被災地域の農業復興の支援に携わっていましたが、2011年の震災から3年がたち、がれきの撤去が終わった段階で、多くのボランティアたちが地域を去ってしまったと言います。せっかく田んぼが復旧し、秋には実りが約束されているにも関わらず、それを見て喜んでくれる人の影が少ない。何かもっと多くの人たちに、この地に足を運んでもらう方策はないだろうかと考えていた時に、わらアートの活動と出会いました。これだ!と思った広瀬さんは、さっそく学生さんたちとともにそのノウハウの習得に努めます。

わらを提供してくれる農家さんへのお願い、冬の間にわらをねずみに食べられないような手立て、恐竜の骨格作り等々、さまざまな課題を一つ一つクリアして、わらアートは、実りの秋のシンボルとなる催しに成長しました。

お伺いしたこの日は、去年のわらアートの写真コンテストの応募作品の選考会の日でした。青空をバックにした迫力ある恐竜たち。周囲で輝く子どもたちの笑顔。復興のシンボルとして、また、農業者のみなさんのコメ作りへの強い気持ちを応援するイベントとして、大きく羽ばたけ!わらアート。

Re Roots

Re Rootsさんは、震災直後の2011年4月に、被災した若林区沿岸部の農地の復旧をめざして活動を始めた学生を中心とするボランティア団体です。

最初の3年間は、主に農地のがれきの撤去を中心に活動を行いましたが、田んぼや畑の生産が再開され、新たな集団移転地や復興公営住宅への転居が進むにつれ、それまで訪れていた支援者が減り、周囲の住民の数もまばらになっていったことに、強い危機感を覚えたと言います。

そこで、それまでの活動の中心テーマである「農業の再生」に加えて、交流人口の増による「農村の再興」や住民の方々を主体とした「コミュニティ・地域福祉の向上」にも取り組むようになりました。

お伺いした1月22日の日曜日は、井土の集会所に地域のみなさんやかつて井土で暮らしていた方など、約15名の方々が集まって、千代紙と牛乳パックで万華鏡を作ったり、六郷・七郷にちなむクイズに頭をひねったりと、進行役の学生さんたちといっしょに和気あいあいと語らいを楽しんでおいででした。

井土は、沿岸部の各集落の中でも、居住者の減少が著しい地区です。久しぶりに顔を寄せあった住民のみなさんは、こうしてお互いの元気な姿を見、若い学生さんたちと会話をすることは、何よりの楽しみだと語ります。Re Rootsさんが進める地域福祉の輪が力強く広がることを願っています。

網地島ふるさと楽好

人口減少と島の住民の高齢化に悩む網地島地区の皆さんが、島の外との交流を増やし、活性化を図ろうと企画したのがそもそもの始まりだったとか。当初、島の方々から、施設に入所している児童たちに、夏の網地島で自然にどっぷり浸って過ごしませんかと呼びかけがあった時には、十分意図が伝わらず、消極的な施設もあった中で、この日お伺いしたラ・サール・ホームでは、職員が網地島をよく知っていたこともあって、最初の訪問団体となったのだそうです。

現在では、市内の4つの児童養護施設の子どもたちが、代わる代わるこの事業に参加していますが、網地島の海での魚釣りやカヌー、ボランティアの大学生等もいっしょになっての食事つくりなど、たくさんの笑顔があふれる活動となっています。

一方、島のお年寄りにとっても、自分たちの生活技術を生かして、子どもたちに喜んでもらえることは、とても大きな張り合いとなっているそうです。とりわけそのことが実感されたのが、東日本大震災の時で、大きな被害を受けた島に、子どもたちから100通近いお見舞いのたよりが届き、それを見た島の方々が、もう一度子どもたちが遊べる砂浜を取り戻そうと、がれき撤去等に力を尽くしたのだとか。網地島の人と自然の豊かさが、これからも多くの子どもたちの心に思い出として残ることでしょう。

発達支援ひろがりネット

発達支援ひろがりネットさんは、シエルの会、宮城県自閉症協会、就労支援センターグッジョブ(株)、認定NPO法人グループゆう、NPO法人燈火の会、みやぎ発達障害サポートネットの6つの団体が参加して運営している連携グループです。

6つの団体は、それぞれが自閉症の子を持つ親として、また支援の現場にいる者として、長年活動を続けてきた方々ですが、学齢期における支援の充実が大きな課題との認識で一致し、共同して活動を進めることになりました。

特にここ数年は、高等学校における発達障害の支援について、実情を知り、理解を深めるために、各校の担当の先生方との話し合いや実態の調査、保護者への情報提供等につとめています。

今後の活動としては、県内9校を訪問してのヒアリング調査から把握した各校の工夫した取り組み内容等を広く普及することや指導者と保護者の相互理解と連携がさらに進むような活動にも力を入れたいとのこと。

より高い教育機関で学びを継続したい、社会に出て職業人として自立して生きていきたいといった発達障害児者の願いが実現するよう、活動の進展に期待します。

人形劇場 徹子の家

このたび、人形劇場「徹子のお家」をお訪ねしたのは、令和4年の暮れも押しせまる12月29日のことでしたが、この日は、はからずも、劇場の主催者である鈴木優子さんが、今から10年前に、教員を退職し、人形劇に全力投球することとなった、その節目の日とのことでした。

そもそも鈴木さんが、人形劇に関心を寄せるようになったのは、総合学習の時間に、人形劇を取り入れて活動を進めたところ、日頃、あまり発言しない無口な子どもたちが、人形の姿を借りて、のびのびと演じるのを目の当たりにしたからだと言います。それまで音楽の教師として、歌うこと、奏でることを中心に取り組んできたものが、演ずることの可能性に大きく目を開かれたのだそうです。

泉区野村にあるご自宅を会場に、人形の制作も、芝居の演出や照明も、何もかもが一からの手探りでしたが、さまざまな分野の専門家のアドバイスや昔の教え子たちの支援もあって、少しずつ、地域にその存在が浸透し、家族ぐるみ、もしくは姉弟そろって、この活動に参加する人たちが増えていきました。

この日は冬休みとあって、会場はかわいい子どもたちでいっぱい。人形の一挙手一投足にくすくす笑い、目を輝かせ、ほっと息をつきます。

思いを表現し、届けること。発信された思いを受け止めること。そうしたキャッチボールが、これからも続くことを願っています。